みすず書房

日常のなかの小さく緩慢な死

日常のなかの小さく緩慢な死

鶏頭の触手

花はいつ死ぬのだろう。

花びらのみずみずしさと色彩に翳りが落ちはじめたときだろうか。あるいは全体が干からびて、がくから散り落ちたときだろうか。

それとも花につながる茎や葉や根が、すべてみな枯れたとき?

1週間前に花屋で買った切り花の水をわたしは替える。花瓶がわりに使っているジャムの空きびんの内側がぬるついている。水のなかで微生物が増殖したのだろう。ぬめったゼリー状の膜が茎にも薄く張っている。この膜を蛇口の水でこすって落とし、茶色くなった茎の切り口を鋏で落とす。水が「腐ら」ないよう、水を替えるのは1日おきだ。花が長もちするというふれこみの薬剤も入れている。栄養分である糖類と、腐敗を防ぐ殺菌剤や界面活性剤が入っているらしい。

花を買ってから置いておく期間は2週間の場合もあれば1カ月になるときもある。見た目が「きれい」である間、だと思う。「思う」というのは自分でも基準がよくわからないからだ。

切り花の変化は目の前で進行していく。土に生えていた植物が一部を切り取られ(あるいは全体を掘り出されて)家のなかに持ちこまれたものという点では野菜も同じだが、こちらは通常「悪くなる」前に食べてなくなってしまう。腐らせたとしても、しばらく忘れて冷蔵庫の奥に放置していたらいつのまにか、というケースで、「だめになった状態」は突如として出現する。いっぽう切り花のほうは食卓や棚の上に置かれ、色褪せ水分を失い少しずつ死んでいくさまを、ずっと目の前にさらしている。

昨年からたまに切り花の写真記録をとるようになった。最初はオレンジ色の鶏頭が2輪だった。じゃっかん脳みそのような形状で不気味でもあるが、気づくと買ってしまっている花だ。以前、魚を食べていて似た形の内臓が出てきた気がするが、いつのことだったかなんの魚だったか思い出せない。しかし鶏頭は短い毛で花全体が覆われているのでぬらりとした光の照り返しがなく、代わりにビロードのような光沢がある。そのためおぞましさが程よく抑えられている。

この鶏頭の変化がはっきり現れはじめたのは、びんに活けて一週間くらい経ったころだ。2輪のうち片方の変化が早かった。オレンジだった色あいの黄色みが失われ、白みがかった赤茶になった。均一な間隔で波打っていたひだが垂れて広がり根元が見えるようになった。つづいてもう片方も後を追うように色あせ、丸くふくらんでいた全体がしぼんで小さくなった。

するとこの段階になって、花の下部から伸びる触手のような部位がきわだってきた。丸い頭部のすぐ下から、花と同じく短い毛を一面に生やした長いものが四方八方に伸びているのだ。こんな部位が以前からあっただろうか? 覚えていない。初めてわたしは、それまで鶏頭の上部ばかり見ていたことに気づいた。花が立体的に鮮やかにひだを開いていたときには、そのすぐ下に何があるのかをまるで見ていなかった。

鶏頭の花の部分は、正確には「花序(かじょ)」と呼ばれ、茎の先端が変形したものであるという。植物学でいうところの「花」は、それより下方の、花序と茎の間にある。この部分にびっしり生える小さな突起物が、花びらをもたない「花」なのだ。

にょろりと伸びた毛のはえた触手は、その本来の「花」が発達した姿なのかもしれなかった。

朽ちる花のかぐわしさ

つぼみが少しずつ開いて花となり、しおれて散っていく過程に、人はしばしば人生を重ねる。蕾は若さや未熟さの、開いた花は繁栄と成熟の、そして力なく垂れた様子は老いの暗喩として表現され読み解かれる。

しかし生きものとして考えたとき、花はより大きな全体の一部である。生態学では生きものを、ユニタリー生物とモジュラー生物という区分に分けて考える。ユニタリー生物とは個体の形態が確定的な生きもののことだ。馬であれば脚が前に2本、後ろに2本、たてがみのある長く太い首が上に伸びている——というように。ユニタリー(unitary)は英語で「単一の」「統一された」などの意味である。

一方、ある〈単位〉が積み重なって個体が形成され、条件に応じて形が変わる生きものもいる。それがモジュラー生物だ。たとえば植物は、茎・葉・芽という〈単位〉すなわちモジュールを、日当たりや温度などに応じて臨機応変に出現させる。だから個体によって枝の数や大きさが様々に異なる。ちなみに花は、植物が生殖するとき、茎・葉・芽というモジュールが変形して作られる器官だ。花が枯れるというのは、このモジュールの死なのである(1)。

つまり植物には、部分であるモジュールの死と、そのモジュールを生み出した「大もとの植物」全体の死という、複数の死があるということになる。

人でイメージするならこんな感じになるだろうか。頭から髪の毛の代わりにたくさんの骨のない触腕が生えている。触腕の先端にはいずれ性器に分化する組織がある。最初は少し硬めの肉芽だが、季節がくると色鮮やかにふくらんでやわらかく伸長し、魅惑的な香りを放ちながら内部の構造をあらわにする。しかし一定期間がすぎれば、触腕も性器も死した細胞となり、干からびてねじくれ、そのうち根本からぼろりと取れて落ちる。体毛のように、抜け替わってはまた生えてくる……。

鶏頭の次にはいただきものの小さな花束の写真記録をとった。ピンクと白の花束で、知らない花がいろいろ入っている。なかでも五方向に蕾をつけた構造がいくつも幾何学的に重なる植物は、まさにモジュラー生物だった。この花束は、10日もすると一部の花が茶色くなりはじめ、落ちる葉もあったが、2週間以上たっても華やかな香りがふと漂うことがあった。わたしはどの花が香っているのか確かめようと鼻を近づけたが、長く置いたせいか花々の印象がごちゃごちゃと混じり合い、特定できなかった。数日後、花の香りは湿った土のようなむっとする匂いになっていた。

しかし朽ちていく花には、どの瞬間にも美しさがあった。花弁がしなびて茶色くなり、首が張りを失って花がこうべを垂れ、全体が刻一刻としおれていくなかでも、置かれる場所や光の角度とやわらかさによっては、独特の表情を見せて目を奪うのだった。1カ月経っても2カ月経っても、ねじれた葉が空間に波打つ線を描くさまは見ていて飽きなかった。ふしくれだった痩せた枝の塊のような姿になっても、なお花束は美しくありつづけていた。

そうしていよいよわからなくなったのは、以前の自分が、いつ、なんの基準をもって、「花が終わった」と判断していたのかだった。わたしと花との関係の終わりが、その花の生命活動が停止しているかどうか——細胞壁が壊れ内部の恒常性(ホメオスタシス)が失われているのか——ということと関係がないのは確かだった。しぼんだ鶏頭をゴミ箱に入れたとき目に映っていた違和感が長く尾を引いている。ゴミ箱の四角い輪郭のなか、使用済みクイックルワイパーや破れた食品パッケージがでたらめに詰まった上に、テーブルの上でガラスびんにさしてあったついさっきまでと変わらない姿で、花は横たわっていた。その鶏頭も、おそらく人工的に栽培されたとはいえ植物のなれのはてであるから、林野の適切な場所に置かれれば虫や微生物の養分になって「自然にかえる」のかもしれなかった。なのに、わたしの生活空間にいったん入れば、わたしにとっての「要」「不要」という新しい分類に入れられて、物質としての出自や組成や生態系のなかでの位置づけとはなんら関係なく、合成繊維や鼻をかんだちり紙などといっしょくたに「ゴミ」とされる。そして公的なごみ収集システムによって、生活空間の外へと運び出されていくのだ。

【図1】部屋のすみでいつのまにか1年が経過した花束。

なまの死体がゆっくりと生死の境界を移行する

死とは時間をかけて段階的に進行するプロセスである。日本民俗学における死の儀礼の研究から伝わってくるのはそのことだ。ケガレ研究で知られる波平恵美子は、死のケガレが初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌……、と繰り返し行われる儀礼によって少しずつ弱まっていくことについて書く(2)。

生と死がある瞬間をさかいにはっきりと分かれるようなものではないことは、死の人類学の古典、ロベール・エルツの「死の集合表象」でも論じられた(3)。20世紀初頭に書かれたこの著作で、エルツはボルネオ島、オーストラリア、南北アメリカ大陸など、世界のさまざまな地域の先住民のあいだで、一人の死者に対して複数回のとむらいが行われていたことに注目した。「複葬」と呼ばれる慣習で、エルツはこれを、死んだ人と残された人とのあいだにすぐには断ち切れないきずながあるために生じると考えた。これまでいた人がいなくなったとき、その人と親しかった個人も、その人がいることで回っていた社会も、よりどころや道筋を失って不安定になる。関係の網の目をほどいたり作り直したりして、その人のいない状況に日常を慣らしていくほかない。それには時間がかかるのだ。

エルツが関心を寄せたのは、人びとがもつ死の認識であり、死が生者の世界に及ぼす象徴的な影響である。けれどもその議論が面白いのは、ゆっくりと進行する死者と生者との関係変容を、死体という生(なま)の実体に起きる変化とともに考えているところだ。複葬を行うところでは、人が亡くなると遺体をいったん仮置き場に移動させたり、家の中で棺のなかに入れて密閉して置いておいたりする。そのあと数カ月から数年たって、最終的な墓場へと移動させるのだ。その間、死者の肉体が少しずつ腐敗し汁をあふれさせる様子や、ばらばらの骨になっていく様子を人はまのあたりにする。

埋葬した遺体を掘り出し、何かしらの儀礼を行ったうえで骨や毛髪など一部を埋め直す、あるいは別の場所に移動するという慣習は、かつて日本の西南部でも見られたものである。あるいは西日本広域でも中世までは、遺体を山野に置いておく(遺棄する)風葬が地域や階層によっては珍しくなかったのであって(4)、この場合は庶民が変化していく遺体に接することも多かったろう。

沖縄では近代に火葬が普及するまで風葬が行われていたことが知られているが、民俗学者・伊(い)波(は)普(ふ)猷(ゆう)の記述によると、葬儀の翌日や数日後に死者に参ずる習慣もあった。遺体を安置した山を家族や友人たちが毎日のように訪れ、死人の顔をのぞいていくのである。そして携えた酒を死者のいる場で酌み交わし、音楽を奏でて霊を慰めたという(5)。死者を恐れ避けるというよりは、明るささえ感じられる関わりだ。ただしこの死者は災いをもたらしかねない危険な存在という側面も持っていた、と文化人類学者の小田亮は記す(6)。歌や踊りは危険な死者をなだめるためのものでもあったのだ。風葬した遺体は、ほとんど骨だけになった数年後に掘り出し、綺麗に洗って厨子甕に収める。この洗骨の儀礼を経て、死者は安定するのだという。

不安定な死者が安定する。興味深い言い回しである。あるものが「どちらの状態にあるのか」があいまいだったり確認できないとき、ある決まった行為やはたらきかけを行うことで——たとえば特定の液体をかけたり場所を動かしたりすることで——そのものの状態を変化させ確定させる。儀礼とはそうしたはたらきかけや行為でもあると、前回の皿洗いの文章でわたしは書いた。微生物による分解が進行するあいだ、脊椎動物の死体はつねに状態変化している。においは刻一刻と変化し、色が赤くなったり黒くなったりし、汁があふれ、ふれた温度や質感ももちろん変わるだろう。しかし骨だけになると、変化はぐっと遅くなり感知できなくなる。この段階に至ると、人の場合、表情や見た目の特徴を形作っていた肉、肌、毛髪などもすっかり失われ、個人としての識別も難しい。誰それとはわからない具体性を欠いた死者一般の姿になるのだ。現代において広く普及した火葬とは、あるいはこの一連のプロセスを超特急で行う方法とも言えるのもしれない。

普段はとざされているにおいの経験

棚の上に置かれた6つのガラスびんを、わたしは見つめている。どれも直径10センチ足らず、高さ15センチくらい、ふたは金属だったりプラスチックだったり。中身はいろいろに違う。うち一つの底には黄色がかった白いトゲトゲが転がっている。魚の骨だろうか。カブトムシの飼育ケースのように土と枯れ葉と枝が入っているものもある。黒くねっとりした泥が側面全体にこびりついたものも。

内側に細かく水滴がついたびんを手にとって、ふたを開けてみた。強い土のにおいがした。

「においは一時期よりおさまりました」と、このびんを五カ月ほどかけて「育てて」きた西田亮太朗さんがいう。なかに入っているのは、土、コーヒーノキの葉、生分解性のスターバックスのストロー、西田さんが殺した蚊など。鶏や豚の骨なども入っている。びんの内側の水滴は展示のために一度拭いたが、1週間ほどですぐ元通りになってしまったそうだ。

2025年の秋、大阪市にある浄土宗のお寺・應典院で開かれていた展示「おわりのケア」で置かれていたこの6つのびんを、西田さんとその仲間は「モバイル貝塚」と呼んでいる。生活のなかで出会った「死体」をびんに入れていき、ともに日常を送るというこの実験活動は、京都市に拠点をおくDeep Care Labの関係者6名が実施したものだ。2021年に活動を開始した研究実践グループであるDeep Care Labは、人と環境のなかのさまざまな存在とのケア関係を探究する活動を行っている。西田さんはこのラボにインターンとしてかかわる京都工芸繊維大学の大学院生で、モバイル貝塚の主たる発案者である。彼は2025年の5月ごろに、他のメンバーは8月ごろに、モバイル貝塚の実験を始めたという。

よく知られているように貝塚とは、先史時代、生活から出た廃棄物などがまとめられていた場所の遺跡のことである。貝殻が多く見つかることでこの名があるが、壊れた土器や石器がまとめられていたり、ていねいに埋葬された獣骨や人骨が発掘されることもあり、とむらいの営みがそこにあったのではないかと推測されている。Deep Care Labの活動でも「貝」そのものに重きはなく、「貝塚」という言葉は、食料の残骸や暮らしの道具、動物・人間の遺骸などが「現代社会ほど厳密に分別されることなく、混ざり合って堆積していた場所」(7)を意味している。通常はゴミとして出されて暮らしのなかからすぐに姿を消してしまい、行き先がどこなのかもわからなくなってしまうものを一定期間そばに置いておいて、その変わりゆく姿を観察し、感じてみようという試みである。

西田さんが最初に入れたのは、タンポポと納豆のネバネバした粘液だった。枯れたまま何カ月も机の脇に置きっぱなしだったコーヒーノキや、カビのはえたバナナ、晩ごはんのスペアリブの骨なども入れていった。分解を促進しようと霧吹きで水もかけた。1週間、2週間がたつと、ふたを開けるたびににおいが強くなっていったそうだ。最初は持ち歩くつもりでいたが、荷物が多い日には邪魔だったし、においが漏れるのを恐れて自宅に置いたままになった。「だからモバイルっていうよりマイクロ貝塚だなんて話も出ました」。

西田さんがつけていた記録に、モバイル貝塚の開始より1カ月が経ったころ、久しぶりにふたを開けたときの記述がある。「スクリューキャップを少し回すと、『プシッ』と炭酸が抜けたような音が鳴った」。吐瀉物のような凄まじいにおいが一気にあふれ、「慌てて容器をベランダに移動させた[…]自分の背後に臭いの通り道が出来ている」。このときは、あまりの激臭に二度と開けたくないと思ったという。

あるとき外出中にゴミ収集車とすれ違った。そのにおいが自宅のモバイル貝塚のにおいとよく似ていて、「今日は持ち歩いていないな」「最近新しくものを入れられていない」と、思いがさまざまにめぐったそうだ。まるで親しい生きもののことを考えているみたいだ、とわたしは思う。愛着はたしかにあるのだけれども、十分にかかわれていない後ろめたさもある相手のことを。

黄色みがかった白っぽい小さな塊が土の上に散らばっているのは、Deep Care Labの創設メンバーでもある川地真史さんのものだ。土や葉が入っているびんは他にもあるが、白い塊のせいで汚穢感がより強い。「ハエとハグロトンボ、卵、とうもろこしの芯、魚の骨。みかんの木の葉も入っています」と川地さん。

みかんの木は3年間プランターで育てたが、海外に1週間行っているうちに枯れてしまった。ショックで、散り落ちた葉もしばらくそのままになっていた。普段からやっているバケツコンポストに入れる気にもならなかったが、ちょうど始まったモバイル貝塚のワークショップに、「こっちなら入れられる」と思ったそうだ。みかんの葉とともに土を入れると、同日の夕方にはびんの内側が曇った。その日の記録に「微生物の呼吸」を感じた、とある。「死んだものの中に息づいてるものがある」。

ハエは、自宅の風呂場で飛び回っていたのをそのままに扉を閉め切っていたら翌日脚を天に向けて転がっていた。貝塚に入れたのは、暑さのなか閉じ込めてしまったという申し訳なさがあったからだ。数日すると「ハエの周りを白っぽい糸のようなものが覆った」と川地さんは観察記録に記している。自分に責任の一端があると感じられる死が、その後どうなっていくのかを見つづけるという営為がここにある。一方で、びんに入っているのは強い感情や関係とともにあるものばかりではない。とうもろこしの芯は、コンポストでなかなか分解されないから入れた。「行き場のないものを入れていた」部分があった。

川地さんのびんを開けると、嗅いだことのない強いにおいが立ちのぼった。くせのあるウォッシュチーズに似ていると一瞬思ったが、食べたことのあるどのチーズよりも複雑だ。そして悪臭である。

「なんだろう、このにおい?」と、Deep Care Labのもう一人の創設メンバーである田島瑞希さん。

確かに方向性の見つけにくいにおいだ。昆虫に向かうもの、あるいは卵や木の葉にそれぞれ向かうもの——なかでいろんな菌が活性化しているのだろうか。普段、においを感知するときに自分が無意識の分類を行っていたことを今更ながら感じる。果物発酵「系」、乳酸発酵「系」、消化液「系」、腐敗する肉「系」、ホコリ「系」……。いま嗅いだのはそれら既知のカテゴリーが複数からみ合った上に未知のにおいが加わっていた。さまざまに混じり合うにおいが身の回りから普段いかに排除されているのかを、わたしは強く感じた。近代化された生活においては、においの経験の可能性は、ごく狭く小さく閉ざされているのだ。

「ぼくのも前はもっとにおいがすごくて。生まれて初めてえづいたかもしれないです」と川地さん。「あとウジも一時期めっちゃ湧いてましたね。びんに張り付いてた」。

「自分の貝塚はわりと嗅げるんですよね、何が入っているか知ってるから」と西田さんが言う。裏を返せば、何が入っているかわからないと気軽に嗅げない。開けたとき予想外の耐えがたいにおいに襲われるかもしれないと、たじろいでしまうのだ。

【図2】6つのモバイル貝塚。

ものとものが混ざりあうとき、感情もまた輪郭を失っていく

田島さんは、抜けた髪の毛や乾燥して剥がれた踵の皮膚など、自分の体から出たものを入れた。出産後いつからか、髪の毛を洗って乾かしていると大量の毛が抜けるようになったそうだ。そのままだと家族がいい顔をしないので、洗面所に散らばる自分の髪を床に「這いつくばって」かき集めるのだが、その姿勢そのものが毎日毎日わびしさを突きつけてくるのだという。「私、今まではこんなに抜けなかったのにって」。

子どもが育てているアサガオも入れた。暑すぎるためか花が種をつけずに落ちてしまうのだ。夕飯のお味噌汁に入れたなめこの軸や大根の皮など食事の準備中に出てきたものも。味噌汁に入れた部位は「私のなかを通り抜けていった」。しかし出会いながらも自分のなかを通り抜けず、ただ別れるだけだったものがあって、それらが貝塚に入っている。「そう考えると身の回りには死があふれてる」。

田島さんのなかでは捨てられていくものと死が接続されている。彼女の言うとおり、ごみのほとんどは、かつての生物が切り離されたり加工されたものである。このうち「要」と判断されたものは人の肉体と生活の一部となり、不要と判断されると「ごみ」になる。その分類のありかたを、まずじっと見つめることが、ここでは行われている。

この活動にあたり西田さんは、観察の視点を変えたり気づきをうながすしかけとして、10の指示の書かれたインストラクションカードを作った。「100年経っても分解されない死体を探し、貝塚へ入れてください」。「家にあるもので3分以内に小さな供養碑を作ってください」。すべてを逐一実践した人はいなかったようだ。ただし、田島さんが実行してみた指示がある。「モバイル貝塚を10回以上振ってください」。

そしたら全部ごっちゃ混ぜになって。その前までは髪の毛があって朝顔があって、みたいな感じで、その時の感情だとか入れたときの視界も全部記憶のなかにあったのが、振ったことで土のなかに全部埋まって隠されていったんです。そのとき感情とか記憶もごった煮の中に消えていったみたいな感覚がありました。(8)

類似の感覚を、インストラクションカードを書いた西田さんも記録している。大学の知人と育てていたよもぎを一部びんに入れようとしたら、中身がいっぱいでうまく入らなかった。西田さんは蓋を閉めて30回ほどびんを振る。「やってみて少し後悔した。当然といえば当然だけど、シェイクした後の貝塚は中身がぐちゃぐちゃになっていて、一つひとつの死体の記憶がぼんやりして思い出すことができなくなってしまった。貝塚とともに、自分の記憶もかき混ぜられた感覚」。

行き場のないものを入れるということは、一緒に自分の行き場のない感情を入れていたということでもあった。やってしまった。死なせてしまった。やりきれない、わびしい。身の回りの死をめぐる感情のうち、破綻ない日常にうまく収まらずはみ出してしまうものを、潰さず、抑圧せず、もしかしたら解釈もせず、「その死」の物質としての姿と一緒に仮置きしておく時空間の、その試行的な姿を6つのモバイル貝塚は示しているのかもしれなかった。異なる感情が絡みついた、それぞれ異なる種類のものが、びんを振ることで互いにまみれ、もとの姿を失っていく。「びんを振る」という指令が、ここでは死体の個別性を失わせる儀礼として機能している。するとそれぞれに向けられていた感情も、向かう先を失って、輪郭があいまいになっていく。

そこにはかかわりの重みの変化がある。そして、かつてはたしかに個別の存在に向けていた自分の感情が少しずつ薄らいでいくことに対する後ろめたさや後悔もまた、ある。

死は一般的に「別れ」の経験としてとらえられる。しかし、有機生命体が死ぬとき、命がつきたあとも有機物はそこに残る。日常空間から移動させ隔離しないかぎり——あるいは隔離したならその移動先で——、死は物質的・感覚的存在感をもってそこにありつづける。「生きた変化」をつづける死者とのふれあいのなかでさまざまな思いが満ちては引いてゆき、死者も、生者と死者との関係も、しだいに個としての形を失い他の存在と混じり合っていく。

この文章の前半で見た複葬や風葬の記述からわたしが思い浮かべたのは、そのような経験のあり方である。そこに、日常現場における小さな死を見つめるモバイル貝塚の試行が、かすかな響で共鳴している。

【図3】ダリアと菊の茎にふわふわの白いカビが生えた。

ズレながら重なる寄生的な生

3週間おいた紫の菊とダリアのガラスびんのなかにカビが生える。水から出た茎のまわりを取り囲む、ふわふわの白いカビだ。室温とガラスびんのなかの湿気がちょうど良いあんばいだったのだろう。ダリアはすでに黒ずんで終わりの空気を漂わせていた。しかし菊のほうは、やや開きすぎたきらいはあっても、買ったときと大きく変わらない色をたたえ、さらに花開いているようにも見えた。

花が生命力を満開にしているそのすぐ下で、別種の生きものがその花の体を食い菌糸を急速に広げている。ささやかだけれどもわたしが世話をし、わたしと個別の関係を築いているものが、生きながらにして分解され個別の存在としての境界を失いつつあるのだった。あるものが死んだあとに次のものが栄えるのではなく、生命はズレながら重なり合っていた。その様子を見ながら、わたしもまた同様に、他の存在とまだつながりをもつ生命に寄生し、その命を侵食しながら生きつづけているのだろうかと思った。

注

  1. 大園享司『生き物はどのように土にかえるのか——動植物の死骸をめぐる分解の生物学』ベレ出版、2018年。
  2. 波平恵美子『ケガレ』講談社学術文庫、2009年。原本1985年(東京堂出版)。
  3. ロベール・エルツ「死の宗教社会学——死の集合表象研究への寄与」『右手の優越——宗教的両極性の研究』、𠮷田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳、ちくま学芸文庫、2001年。原著1907年。葬送儀礼というものが死者と生者の共同体との象徴的な関係をつかさどることを明らかにした研究として、人類学のなかでは評価されている著作である。ただし、エルツがたんに象徴や意味や認識のしくみを論じただけではなくて、あくまで物質としての死体や遺骸に関心を示していたことは重要である。
  4. 長沢利明「葬送と肉体をめぐる諸問題」『国立歴史民俗博物館研究報告』第169集、2011年、107–136頁。
  5. 伊波普猷「南島古代の葬制」『伊波普猷全集 第五巻』平凡社、1974年。
  6. 小田亮「日本における死体の歴史人類学——二重葬と骨の象徴性についての構造分析の試み」『人文学報』No. 516-2、2020年、23–37頁。
  7. 「おわりのケア展」展示解説より。
  8. Deep Care Labメンバーへのインタビュー(2025年10月)。