みすず書房

新刊紹介

この世界の彼方を見ること……

2026年10月14日

アガンベン『河口にて』より、ほんの一端、言葉をいくつか抜き書きしました。本文への糸口ともなれば幸いです。(編集部)

可能態の経験は不可能性の経験であり、この経験をする者にとってのみ、思考は可能になるのである。
(「アナーキー的な可能態」)

さまよえる現象のさなかにあって認識しうるものこそが真なのだ。真理へと至る道があるのではなくて、通過と彷徨があるにすぎない。真理とは道の不在の経験のことである。
(「さまよえる現象」)

願望は現実的なものに先立つのではなく、現実的なものの傍らにいて、そのつど現実的なものを可能にしている。
(「願いをかなえることについて」)

生きとし生けるものの魂はメロディーにたとえうるのであって、それを各自はなんらかの仕方で意識的にみずからの最も内奥の秘密として知覚している。
(「カンティレーナについて」)

名詞は量的で重々しく、副詞は質的で軽やかである。もしきみが窮地に陥ったなら、抜け出させてくれるのは「何が」でなく「どのように」であるだろう。副詞であって、名詞ではないだろう。
(「~するあいだに」)

この世界の彼方を見ることをしない者たちは自分たちがそのもとに置かれている力関係だけに注目していて、自分たちの信念を平気で脇にのけてしまうのにたいして、叛乱に立ち上がった者たちは歴史的時間を一度かぎり宙吊りにして、あとは歴史的時間のなかで無条件に活動する、〈ここには存在していない〉ものの側に立った者たちなのだ。
(「アリバイ」)