みすず書房

話題の本

『列島哲学史』韓国語版によせて

2026年9月30日

韓国語版(10月中旬刊行予定)によせられた著者序文を以下お読みになれます。

野口良平

1

このたび、『列島哲学史』が韓国で刊行されることになりました。李承雨氏をはじめとする道出版社の皆さま、そして訳者の李信哲先生に、心より感謝申し上げます。

このオファーをいただいたとき、私は大きな驚きとともに深い喜びを感じました。最初のオファーが、隣国である韓国からだったことは、本書の趣旨にまさにぴたりとかなった、象徴的な出来事のように思われたからです。

2

この本は、日本列島という地理的・歴史的条件のもとで、そこに暮らす人びとが世界像のゆらぎを経験し、それに対話的に応答してきた営みとその核にあるものを、内在的に再構成しようとした試みです。

私は長いあいだ、自分が自分の意志とは関わりなく日本列島に産み落とされたということの意味をとらえかね、日本の社会や歴史に対しても、コミットメントの意識をもつことができずにいました。日本の哲学者市井三郎は、「人間にとって、自分の責任ではないことから受ける苦痛が軽減される度合い」として「歴史の進歩」を定義しましたが(『歴史の進歩とはなにか』)、私がこの本を通じて考えようとしたのもまた、「日本列島に人(私)が産み落とされる経験のもつ意味」というべきものでした。

しかし、日本列島の哲学史というものを考える際には、一つの大きな困難が待ち構えています。それは、近代以前から語り始めることの難しさです。従来の試みの多くでは、19世紀後半における西洋哲学の輸入から出発してきました。そして、「哲学」という訳語(日本語)そのものにもワナがありました。φιλοσοφία(philosophia)が持つ「知を愛する」という意味合いは、一九世紀後半に啓蒙思想家の西周が「哲学」という訳語を定めたときに、大きく脱落してしまったからです。この出来事は、哲学が普通の人びとの生活世界と切り離され、大学制度の内部に囲い込まれていく象徴的な契機でもありました。

私は、哲学は、本来誰にでも開かれた営みであるはずだと考えています。そのため私は、哲学の定義そのものを考え抜いて工夫し、「列島哲学史」という手づくりの概念を構想しました。

この本で私は、「哲学」を次のように定義しています。「人間が世界像のゆらぎを経験した際に、自分ともう一人の自分、そして他者たちとの対話を通して、自分の視野を育て、態度を整えていく努力。またその努力を支えうる方法」。そのようにとらえるとき、哲学の営みは、専門家と非専門家の別を超え、また西欧と非西欧の別をも超えて、すべての人びとに開かれうるものになるのではないか、というのが私の目論見だったのです。

3

2500年近く前に、プラトンの『国家』でトラシュマコスが主張した「強者の利益こそが正義」という考え方は、今日にいたるまで根強く残っています。宮崎駿が映画『千と千尋の神隠し』で描こうとしたのは、「最後には正義が勝つ」とは限らない世界で、それでも「どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと」を大事にしつつ、「正しいこと」をつくり出していくことの意味でした。加藤典洋がそこから読み取ったように、そこにこそ人間の成長の核があり、重要な哲学的課題が潜んでいるように、私は思います。

19世紀後半を生きた中江兆民は、最晩年の著作『一年有半』で「日本に哲学なし」と述べました。この言葉は鋭い洞察を含みますが、私は、この言葉をそのまま受けとるのではなく、「哲学のモト」にあたるものが、列島の精神史のどこに潜んでいるのかを問いたいと考えました。中江が洞察したように、日本人は状況への柔軟な対応力に富む一方で、普遍的な原理をめぐる持続的な探求に乏しい面がある。それでも私は、列島の歴史の辺縁部では、いわば「哲学のモト」ともいうべきものが、さまざまな形で育まれてきたはずだと考えてみました。その際の導きの糸になったのは、強者や優者によって沈黙を強いられる弱者や劣者の「深い陣痛」のなかに、文学の発生条件を観取した、折口信夫の洞察でした(「日本文学における一つの象徴」)。この洞察は、「はじめにロゴスありき」という考え方を相対化する、もう一つのロゴスの可能性を示唆しているのではないか。その可能性を、私はこの本で考えてみたのです。

4

韓国と日本とは、「中華帝国」という普遍的な中央文明の辺境に置かれるという条件を深く共有しています。それと同時に、一方は、中国と地続きの「半島」であり、もう一方は海で隔たれた「列島」であるという違いもあります。この違いを私は、地政学的な宿命というよりも、米国の哲学者G・H・ミードが『精神・自我・社会』のなかで説いていたような、共通の意味をもつ象徴の形成に向けた、パースペクティブの交換の契機として捉えたいと考えています。

日本列島では、「外国」という言葉を聞くと中国や欧米といった「中央文明」を思い浮かべる習慣が、歴史的に形成されてきました。しかし、本来「外国」とは、誰にとってもまず、歴史的に深い関係をもつ隣国――たとえば日本にとっての韓国――のことであるはずです。
辺境文化圏同士の交流は、古来、中央文明の文物を媒介として行われがちであり、そこには中国、もしくは欧米のモデルを介した共時性はあっても、眼前の相手との「そのつどの」「一対一の」直接的なつながりは、往々にして欠落しがちでした(加藤典洋「方法としての遅れ――白楽晴の『朝鮮半島統一論』」、『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』)。このあり方を私たちは脱するべき時期に来ているのではないかと、私は考えています。私たちが、互いに自分の問題意識と思想のツールで他国の人びとと関わり合い、刺激を与え、受けとり、共有すべき課題を形成していくことができれば、どれほど豊かな対話が生まれるでしょう。
こうした複雑な過去を介した、ただなめらかにとはいきにくい関係を回避しない隣国との関わりかたの模索という点においては、欧米、特にヨーロッパ諸国に一日の長があります。彼らは、2500年以来の長い哲学史の蓄積を背景に、信念の対立を克服しうる理路をねばりづよく探り続けてきました。西洋哲学史のエッセンスを、検証不可能な形而上学の提示と衝突の事故現場としてではなく、むしろ形而上学を批判し、信念どうしの対立を克服する努力として見直し、再提示することは、むしろ非西欧世界に課せられた仕事であるかもしれません。そのようなエッセンスの把握の仕方は、現代ヨーロッパの哲学思想から見失われつつあるかにも見えるからです。
日本を例にとれば、この本の最終章で取り上げた鶴見俊輔、福田定良、竹田青嗣、加藤典洋といった哲学者・思想家の営みは、まさにその方向を指し示しています。彼らは、西洋哲学史の遺産から謙虚に学びつつも、模倣や追随に陥ることなく、むしろその可能性を「彼(西洋)」に向けて問い返そうとする再定義の試みを続けました。その方向を重んじながら、私たちはもはや「彼(西洋)」を思考の前提としてメタレベルに置く必要はないのではないか。むしろ、隣人とのあいだに「我」と「汝」の直接的で新しい関係を模索すべきではないか。私はその問いを、自らに向けて問い続けたいと思っています。

5

日本と韓国とは、後発近代国としての構造的条件をも共有しています。急速な近代化がもたらした世界像の激しいゆらぎ、伝統と近代の緊張、ナショナリズムと帝国主義の誘惑――これらは両者に共通する経験だと言えます。そのなかで、欧米列強による圧力のもとに開国した後の日本が、韓国をはじめとする東アジアに対して歴史的に示してきた態度は、卑屈さと傲慢さの裏返しとして現れることが多かったと言わざるをえません。それは、普遍性を「すでにどこかにあるもの」として「与えられるもの」としか想像できなかった、いわゆる「上からの普遍性」への即時的適応、同一化に由来しているように、私の眼にはうつっています。

この「上からの普遍性」は、現在、米国、中国、ロシアのような超大国による全体主義的な志向性のもと、既成事実としての力関係の強要という形で、まさに今も、私たちに対して強固なかたちで現前しているのではないでしょうか。
この本で私は、「下からの普遍性」という概念を提起しています。これは、「上からの普遍性」とは対照的に、「まだ存在していないもの」――「どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと」を、他者とともに時間をかけながら「つくり育て合う」態度を指しています。それは、列島の弱さ・遅れ・ゆらぎといった、「上からの普遍性」を基準にとれば不合理、非効率とみなされうるような諸条件を正面から受けとめ、そこからしか生まれえない独自の普遍性を、対話的に構想しようとする試みです。半島の人びとが経験してきた植民地支配、分断、民主化運動の歩みは、まさにこの「下からの普遍性」がどのように形成されうるかを示す、そして私たち列島の人間がそこから多くを学ぶべき、貴重な思想的遺産にほかならないように、私には思われるのです。

この本で取り上げられる人びとや作品は、列島においても必ずしもメジャーなものとはみなされていないケースを多く含んでいます。また、それらに対しても、必ずしもそれにふさわしい認識や評価が与えられているわけではありません。むしろ、この国では長らく公認されてこなかった、もしくは共有財産とはみなされてこなかった、地下水脈に属する系譜に連なるものと言ったほうがいいかもしれません。韓国の人びとにとっても、思想的状況は似たようなものなのではないかと推察されます。しかし、思想・文化の受容と交流が深まっていけば、それは未公認の思想・文化同士の出会いへと移行し、真の共鳴と呼応が生まれるようになるのではないでしょうか。そのような共鳴と呼応こそが、私たちが共にその前に立つ、まだ書かれていない人類の哲学史への扉を開きうるものであるように、私は思います。

6

日本列島に暮らす人びとの多くは、強大な中央文明の辺境において、外的自己と内的自己とに引き裂かれる「自己分裂」(内外二元論)を長く抱えてきたように、私には思われます。それは、外から与えられた普遍性に同一化しようとする自己と、列島の生活世界に根ざした自己との分断、ともいうべきものでした。そして、この自己分裂の克服こそが、日本列島の人びとの哲学的課題の核心であり、同時に、対外的な信頼関係を築く鍵でもあると、私は考えています。

不幸な歴史を直視することは、不可欠な作業です。その際、日本人が過去の加害事実を振り返る目的が、罪障感を打ち消すための自己正当化や、ひたすら自分を責め続ける物語に終わるのであれば、それは自己分裂の反復にとどまって、加害責任主体の構築につながるような、積極的な意味を持ちえないでしょう。竹田青嗣が指摘するように、大切なのは、近代がなぜそのような悲惨な道筋をたどったのかを構造的に洞察し、同じ過ちを再演しないために、どのような体制・条件・構想が必要なのかを、思想的に深く考え抜くことなのではないでしょうか(加藤典洋と橋爪大三郎の対談『天皇の戦争責任』での司会者としての発言)。そこにはもちろん、韓国の人びとが植民地時代に辿った苦難と、その経験が生み出した思想の重みを理解しようとする、日本人の努力が含まれなければならないでしょう。それもまた、「下からの普遍性」を成立させうる要素なのではないか。そのように考えて、私はこの本を書いています。

7

私は、この本が「列島哲学史」である以上、その対になる「半島哲学史」が書かれることを、心から望んでいます。両者が互いの経験を尊重し合いながら、「下からの普遍性」を探り合い、自己分裂を克服し、未来に向けて信頼関係を育む対話を深めていくことができれば、これ以上の喜びはありません。

韓国の読者の皆さまが、本書を厳しく読み、ときに批判し、そして新しい対話への契機としていただけるならば幸甚です。そこから新たな「世界像のゆらぎ」が私自身にもたらされることを、何よりも私は心待ちにしています。

© NOGUCHI Ryohei 2026
(著者および韓国語版出版社の
ご同意を得て掲載しています)